【第十回】2日目の旅のはじまり
2日目 鮫洲~雑色 ①
womoライターで寄り道担当の妻【こしあん】と、下調べと三脚担当の夫【つぶあん】。「あんこは、こしあんかつぶあんか」のような、ある意味どうでもいいけれど永遠のテーマを時おり議論しながら、東海道五十三次を“コマ切れ”で歩きます。お供は磐田市イメージキャラクター「しっぺい」です。日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、どこまで頑張れるか、どうぞ笑いながら見守ってください。(筆者:つぶとこし)
第十回 2日目の旅のはじまり
極寒の都心を死ぬ思いで歩いた前回から約一か月後。
歩くのツラいから、このままコッソリと目立たぬよう辞めちゃおうかなぁと密かに思ってみたり…(^_^;)
でも、東海道旅の不思議な魅力にハマッてしまった私達は、旅のつづきを再開しました。
とはいえ今回は、次の日に東京で別件の用事があり、そのついでの【おまけ旅】のようなもの。そんなにたくさんは歩けません。
川崎宿まで行かれればいいなぁと思っています。
川崎駅まで車で行き、京急線で鮫洲駅へ移動。
しかし、駐車場探しに時間をとられてしまったのが痛い(>_<)
駅前の道が細く入り組んでいて迷ってしまい、やっと見つけても満車だったり、駐車料金が高額だったりして、周辺をぐるぐる何度も回るはめに……。事前に調べてはあったんだけどなぁ…。
もう! これだから都会は不便なんですよね(^_^;)
そんなこんなで鮫洲駅に着いた時にはもう12:30を過ぎており、すでにちょっと疲れてしまいました(+_+)
しかし到着して降り立ってみると、そこは懐かしき鮫洲駅!
この東海道を歩こうとしなかったら、おそらく人生で一度も使うこともなかったであろう、小汚くてローカル感満載の駅! もちろん、普通列車しか停まりません。
きっとこれを読んでいる東海地方のほとんどの人が、心の中で思っていることでしょう。「鮫洲駅って、どこやねん!」と…(+o+)
歩き始めて気が付いたのは前回より足が軽いこと!
つぶあんは靴を新調して装備を整えたことが挙げられますが、それ以上に気温が1か月前よりも暖かいことが要因だと思われます。
気温が人間の体に与える影響の大きさを感じます。
「お、おう! 歩ける、歩けるよぉ~」
クララが立った時のような感動。
足取りも軽く、テンポ良く歩けます。
このあたりは道幅も狭くカーブの多い、いかにも旧道といった雰囲気の道が続きます。
つぶあんは、こういった昔の名残をとどめる道が大好きなようで、「このカーブがたまらん!」と異様に興奮しています(*_*)
昔の風景を妄想して、脳内で映像を重ね合わせて、ひとりでニヤニヤしています。
私にはいまいちピンとこないけど(^_^;)
江戸時代から続く老舗和菓子屋さんのお団子とかのほうがよっぽど興奮します。
よく言われる“男はロマンチスト・女はリアリスト”を実感。
「この道をさ、参勤交代が通過したり、徳川家康とか明治天皇とかも通ったんだよ、すごくない?」
「う…、うん……」
ロマンティックが止まらないようです。
立会川に架かる「浜川橋」を左に少しそれた場所に「浜川砲台跡」があります。
【この先ペリー艦隊黒船が見える!!!】とか書いてありますけど……あの建物の壁に描かれているイラストのことでしょうか(-_-;)
若き日の坂本龍馬が、この地を警備していたこともあるそうです。コンクリートだらけでどこに何があったのかもよくわからず、当時の何かが残されていたり、立派な記念碑的なものが建っているわけでもなく……。加えて、それほど龍馬ファンでもないため、特にこれといった感想はありません(-_-;)
なんとかして、龍馬ゆかりの地にしたいアグレッシブさは評価しますよ!
浜川橋は別名「涙橋」ともいいます。ここから10分くらい歩いたところに「鈴ヶ森刑場」があり、そこで処刑される罪人が護送される時、親族などがこっそりとここまで来て、この橋で涙を流しながら見送ったことから「涙橋」と呼ばれるようになったそうです。処刑される罪人にとっても、この世にいられる最後の場所。たくさんの涙であふれる悲しい場所だったのですね。
「鈴ヶ森刑場」の詳しい内容については、次回のお楽しみ!
って、こんなノリで書くような場所ではないんですけどね(>_<)
つづく
【つぶとこしがこれまで歩いたルート】
連載履歴
つぶとこしの『コマ切れ東海道あるき旅』 文章担当の妻【こしあん】と写真担当の夫【つぶあん】。日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、東海道五十三次を“コマ切れ”でゆるゆると歩きます。