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【第十八回】でっかい狛犬の波瀾万丈な人生

4日目 新子安~保土ヶ谷 ①

寄り道と文章担当の妻【こしあん】と、下調べと写真担当の夫【つぶあん】。
「あんこは、こしあんかつぶあんか」のような、ある意味どうでもいいけれど永遠のテーマを時おり議論しながら、東海道五十三次を“コマ切れ”で歩きます。お供は磐田市イメージキャラクター「しっぺい」です。
日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、どこまで頑張れるか、どうぞ笑いながら見守ってください。(筆者:つぶとこし)

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第十八回 でっかい狛犬の波瀾万丈な人生

暑さに弱い私たちなので、前回の旅から5ヶ月以上経って涼しくなった10月30日(2015年ですよ、約1年前ですね……)に、旅の続きを再開しました。朝7時半出発の高速バスで横浜まで行き、京急線で前回のゴール地点・新子安駅へ。

何の面白みもない国道15号(第一京浜)を進みます。子安には浦島太郎の伝説が残っているそうで、「浦島町」という地名もあります。一般的な浦島太郎は、竜宮城でしばらく過ごしたあとに浜に戻ってくると、その何倍もの時が経っていて、玉手箱を開けると老人になってしまう、というお話ですが、この地では、時が経ったことを知った太郎は再び竜宮城へ戻っていくというのです。なぜこの地に浦島太郎伝説が残っているのかといえば、太郎の父親がここの出身だからのようです。……強引だなっ!

東海道沿いからはだいぶ離れるので寄ることはできなかったのですが、「蓮法寺」というお寺に、浦島父子の供養塔や亀の石像、伝説にまつわる歌碑などがあるそうです。


街道沿いから一本裏に入ったところにある「神奈川小学校」には、江戸幕府の道中奉行所が作った「東海道分間延絵図」のうちの神奈川宿の様子を表した壁画があります。


少し進むと「熊野神社」があります。
狛犬でかっ!!! でかすぎて二体いっぺんに写真に収めることができなかったよ……。写真だとなかなかその大きさが伝わりにくいですが、身の丈が160センチもあるとのこと。まさに《威風堂々》という言葉がぴったりです。


そして、この狛犬、実に波瀾万丈な人生(?!)を送っているんです。ではその、「アンビリーバボー」な出来事をご紹介します。

この狛犬は、名工として名高い、鶴見村の石工・飯嶋吉六が嘉永6年(1853年)に造り上げたもの。嘉永6年といえば、子安からも近い浦賀に黒船がやってきて大騒ぎの頃です。
完成から2年後、安政2年(1855年)10月の安政大地震のとき、片方の狛犬が台座から落ちたものの、多くの人達の手で元に戻されたそうです。さらに大正12年(1923年)の関東大震災で地面がくずれ、今度はもう一方の狛犬が台座から落ちてしまったとか。重機もままならないこの時代、この大きさの狛犬を台座へと戻すのは、とても労力のいる作業だったでしょう。
さらに、昭和20年(1945年)の横浜大空襲の際、辺り一帯は焼け野原となり、残ったのは狛犬と鳥居の一部だけ。しかも進駐軍がブルドーザーで狛犬を京浜急行の線路まで運び、土手に埋めてしまったんです!! そのことに胸を痛めた人々が狛犬を掘り起こし、熊野神社の仮本殿前へと戻し、今の場所に戻ったのは昭和38年(1963年)のこと。しかし、二体の狛犬は傷だらけでボロボロ。そこに現われたのが一人の左官職人。70歳にもなる職人さんが命をかけて、狛犬たちを見事に復元させたそうです。
じーさん、かっこいい!!!


かつて狛犬が据えられていた台座には「英気」と「威凛」の文字が刻まれていたといわれています。
「英気」……優れた才気。何かをしようとする気力。「威凛」……凛々しく勇ましく輝く。この狛犬たちとそれを守ろうとする人々にぴったりの言葉ですね。

ちなみに「しっぺい」も、怪物を退治した霊犬・悉平太郎の伝説をモチーフにしているので、狛犬とは通じるものがあるよ!


奇跡の狛犬さんたちにパワーをもらい、軽快に歩みを進めます。
遠くに横浜のビル群を眺めつつ、右手の「宮前商店街」へと入ります。


少し歩くと、源頼朝の創建と伝えられる「洲崎大神」が見えてきます。


神社前からのびる参道が第一京浜に突き当たるあたり、そこがかつての船着場でした。当時はすぐそこが海だったということですね。横浜開港時には、開港場と神奈川宿を結ぶ渡船場として栄えていたそうです。


商店街をぬけると、京急線の神奈川駅、3番目の宿場町「神奈川宿」に到着です。
「あ~、この景色、ヒルナンデスで見た!!」とはしゃぐ二人。
日本テレビ『ヒルナンデス』でも東海道旅の企画をやっており、ニッチェとタンポポが歩いているんです。歩き始めたのは私達のほうが早かったんですよ。あっという間に追い抜かれてしまいましたけどね(笑)




青木橋の陸橋を渡り、旧東海道へと入ります。
旧道らしい狭い道で、ここから先、上り坂が続きます。


こちらがほぼ同じ場所の明治時代の様子。


▲長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベースより

風情があって良いですね~。当時は左手の家並みの裏の崖下は海だったそうです。

ここまでで約1時間20分。疲れ始めた身体に、上り坂はキツイなぁ……でも、がんばるよう。


つづく

【つぶとこしがこれまで歩いたルート】

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更新日:2016/11/9
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つぶとこしの『コマ切れ東海道あるき旅』 文章担当の妻【こしあん】と写真担当の夫【つぶあん】。日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、東海道五十三次を“コマ切れ”でゆるゆると歩きます。

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