【第二十三回】焼餅坂でジェラシー
5日目 保土ヶ谷~戸塚 ③
寄り道と文章担当の妻【こしあん】と、下調べと写真担当の夫【つぶあん】。
「あんこは、こしあんかつぶあんか」のような、ある意味どうでもいいけれど永遠のテーマを時おり議論しながら、東海道五十三次を“コマ切れ”で歩きます。お供は磐田市イメージキャラクター「しっぺい」です。
日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、どこまで頑張れるか、どうぞ笑いながら見守ってください。(筆者:つぶとこし)
第二十三回 焼餅坂でジェラシー
日本橋を出て最初の難所といわれる「権太坂」を越えたと思ったら、次は別の坂が出現……汗汗汗
「焼餅坂(やきもちざか)」と呼ばれるこの坂は、その名の通り、焼餅を売る茶屋が軒を連ねていたそうで、広重の絵にも描かれています。現在はただの住宅街で、残念ながら茶屋は一軒もありません。
ここでふと、なんでジェラシーが「やきもちを妬く」なんていう言葉になったのかな? と気になり、調べてみました。
「やきもち」というと、かわいい女子が「もぉ、ほかの女の子ばかり見てないで、私のことを見て!」ってほっぺたふくらませるやつですよね。
「焼く」と「妬く」、「餅」と「気持ち」をかけたダジャレに、焼いてふくらんだ餅とほっぺたもかけているようですね。ほっぺたは後付けともいわれてますが、日本らしい情緒ある面白い言葉だと思います。
焼餅を売る茶屋がもうないので、とりあえず、ほっぺたをふくらませておきました。でもこの仕草は、かわいい女の子がやるから効果的なのであって、私がやると罰ゲームで牛乳を口にいっぱい含んでいるみたいになるので、二度とやらないように封印します。
焼餅坂はゆるやかな下り坂が続きます。5分くらい歩くと、今度は「品濃坂(しなのざか)」という上り坂に。ここは道の両側に一里塚が残っている、とても貴重な場所。
こちらが右側の一里塚。
こちらが左側。
往時の面影にひたっていたのもつかの間、細い道の向こうに突如、高層マンションが現れます。
急に現実に引き戻されたような不思議な感覚。エジプトのピラミッドの反対側に、普通に街が広がっていることを知った時の衝撃に似ています。
つぶあんが、腿の付け根が痛いと申している。
右に曲がり、高層マンション群に向かって歩道橋を行くとJR東戸塚駅。がんばってもう一駅先の戸塚駅まで行くか、ここでドロップアウトするか、しばし協議……。
しかしまだ2時間弱しか歩いていないので、歩くペースを抑えてもうちょっとがんばろうってことで、先に進みます。
そこらじゅうに「旧東海道」と書かれた案内板があるのが嬉しい。それがどんなに古臭く、ダサい看板だったとしても、歩き甲斐があります。
旧東海道は向こうだそうです。わかりやすい!! ありがたい!! このイラストの二人は誰なんでしょうね。晩年の徳川家康公と幼少期の竹千代のようにも見えますが、ここ、神奈川だしなぁ。東海道を整備したのは家康さんなので、関係なくもないですが……ナゾです。
ナゾの二人組の案内に従って歩道橋を渡ります。
するとまたちょっとした上り坂が!!……もう、やめてぇぇぇ。アップダウンありすぎいぃぃぃ。
その後は自動車がガンガン走る国道と、一本それた旧道を行ったり来たりしながら、なんの面白みもない道をひたすら歩くという、軽めの地獄道が続きます。
お腹がすいてきたので、国道沿いのすき家で昼食。できればチェーン店とかではなく、その土地の名物などを味わいたかったのですが、この周辺ではそういったお店はありそうもなく。この先の状況がわからないので、食べられるうちに食べておかないと、休憩できなくなってしまうのが一番の地獄なので……。
すき家、久ーーーーーしぶりに食べましたけど、二人して「うんめぇぇぇぇ」と大声を出して立ち上がりそうになりました。すき家ってこんなに美味しかったっけ? しかも注文してから1分もかからず出てくるし、安いし、最高じゃないか! 働いている人はねぇ、いろいろあって大変だったと思いますが……とてもありがたき存在なので、これからも経営陣にがんばっていただきたい。しかし、あの「ワンオペ問題」からよくここまで復活しましたよね。無茶な値下げとかしなくていいんで、お店を存続させてください!
と、東海道とは全く関係のない、すき家のありがたみをしみじみ感じたところで、続きはまた次回。
つづく
【つぶとこしがこれまで歩いたルート】
連載履歴
つぶとこしの『コマ切れ東海道あるき旅』 文章担当の妻【こしあん】と写真担当の夫【つぶあん】。日頃まったく運動せず、極度の面倒くさがりである二人が、東海道五十三次を“コマ切れ”でゆるゆると歩きます。