【Woman's File】女子競輪選手 杉沢毛伊子さん
働く女性の魅力に迫る『Woman's File』。womo3月号掲載の女性をご紹介
杉沢毛伊子さんにインタビュー
夢と目標を見失わずいつまでもチャレンジし続ける
女子競輪選手 杉沢毛伊子さん
富士市出身。高校、大学とバスケットボール選手として活躍。大学卒業後はIT企業に半年間SEとして勤めた後、高校時代から続けていた「初動不可トレーニング」のトレーナーに転職し静岡へ。3年後、女子競輪選手を目指し競輪学校の試験に合格。2013年に卒業、デビューし、全国のレースで活躍中。ホームバンクは静岡。
社会人4年目で飛び込んだ、強く惹かれた競輪の世界
初めて“競輪”を意識したのは、大学生の時。通っていたジムに、いつも楽しげにトレーニングをしている、筋肉ムキムキの男性達がいて。私はつらいなぁと思いながらトレーニングをしていたので、彼らはとても不思議な存在でした。実は、彼らは競輪選手だったんです。でもその時は、それ以上の思いはありませんでした。その後、東京でのOL生活を経て、静岡のジムでトレーナーの仕事に就きましたが、そこにも競輪選手の方が通っていました。選手たちの成績を確認していたホームページで、ガールズケイリン(女子競輪)が48年ぶりに復活するというニュースを見て、すごく胸騒ぎがしたんです。そもそも自転車競技はまったくの未経験でしたが、それは他の女子選手も同じこと。次第に競輪に挑戦したいという思いを抑えられなくなって、2年後に競輪学校の入学試験を受けると決め、自分なりに準備を始めました。トレーニングは続けていたものの、大学4年の時に脚の手術をしてから、スポーツにブランクがあったのも不安でした。富士市の実家から静岡の職場までの通勤を、車から自転車に変えて、毎日往復100km を走りました。事態が大きく動いたのは、競輪選手になりたいと周囲に伝えてから。たくさんの実践的なアドバイスをもらい、師匠も見つかり、ギリギリの成績でしたが試験にも受かりました。競輪学校はつらかったと言う選手が大半ですが、私は楽しかったですね。高校時代の部活動や初動負荷トレーナーの養成講座の方がずっとつらかったですから(笑)。
ガールズケイリンを通して競輪の楽しさを広めていきたい
競輪選手になって一番嬉しかったのは、やはり初優勝です。お世話になった周囲の人たちが喜んでくれて、なによりホッとしました。競輪は、一般的にはギャンブルというイメージですが、選手はアスリートそのもの。レースを見てもらえれば、選手達の熱気が伝わります。今の目標は、静岡の多くの人に競輪を楽しんでもらうこと。そのために私ももっと活躍したい。ガールズケイリンは男子と違って完全な個人戦で、ルールもわかりやすいんですよ。ぜひ競輪場でレース観戦をして、私たちを応援してください。
杉沢さんのTurning Point
《22歳》スポーツを諦めた大怪我
大学4年の春に右足前十字靱帯断裂のため手術を受ける。つらいリハビリは、「ハイヒールで歩くOLになる」という強い意志で乗り切る。
《22歳》憧れのOL生活も3か月で違和感
大手企業にSEとして就職したが、パソコンに向き合うよりも、人と関わる仕事がしたいと悩み、半年後、初動負荷トレーナーを目指し退職。
《23歳》静岡で念願のトレーナーに
トレーナー資格を取得し静岡のジムに就職。競輪選手の指導に関わることで女子競輪の復活を知り、自分も挑戦したいと思うようになる。
《27歳》競輪学校卒業、選手デビューへ
1年間、修善寺の競輪学校で実技や座学をみっちり学ぶ。朝から夜まで決められたカリキュラムは大変だったが、それすら楽しかったと振り返る。
お仕事風景
声をかけてもらったレースにはできる限り参加するという。その数は、年間80~100にのぼる。スケジューリングや、競技用の自転車の整備もすべて個人で管理。レース後は、成績を冷静に分析し課題を発見、次回の勝利につながるよう、地道な日々のトレーニングを欠かさない。
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